隊員寮の食堂の主、岸谷さんを「クマ」に例えたのは、不思議系と言われるマイペースな同期。
僕が二人の関係を話した時、彼らしい短いエールをそえてプレゼントされたコックコートのテディベアとキャップを被ったバンビは、それぞれの前足(でいいのだろうか?)を赤い糸よろしく細めの赤いリボンで結んである。
そしてそれは僕たちの関係を知る人が見たら気恥ずかしく、知らない人が見たら違和感丸出しで、チーフルームの窓辺に仲良く並べて置かれている。
*** *** ***
調理班にとって戦場とも言える夕食のピークを過ぎた後、夜勤前の小休憩を取る岸谷さんとのひと時の逢瀬。
ローテーブルに落としたばかりのコーヒーを置いて、ソファでのんびりとくつろぐ岸谷さんの隣に座る。
なんとなく肩に頭を預けて、逞しい腕にそっと手を滑らせてみる。
「潤、くすぐったいんだが。」
「ぁ……すみません。」
「それとも、誘っているのか?」
僕が明日も日勤だと知っていてわざと聞いてくる。
「誘ってません!」
「それは残念だ。」
意地悪な質問に困る僕を見て楽しげに微笑むのが悔しくて、つい照れ隠しにむきになって強い口調で答えると、さらに笑みを深めて、コーヒーに口をつける。
こうなると何を言っても楽しませるだけなので、黙ったまま触れている腕を一度抓ってから先ほどのようにそっと撫でた。
腕だけでなく全身に綺麗についた筋肉は、見せるために鍛えられたものではなく、実用に即して過不足なく鍛えられたもの。
所々にある不自然な引き連れは、その数の分だけ危険を潜り抜けてきた証。
僕が訓練校を終了して隊に配属されたときには、もう既に一線から退いていた
けれど、尊敬する西脇班長の、その前を歩いていた人。
今は城隊長の下で隊組織の意識改革が行われている最中で、多少、隊内外の情況が落ち着いて来ているとはいえ、相変わらず委員会との認識のずれは深く、巧みに警備の隙を突いてくるテロも頻発している。
そんな今よりも、もっと不安定な組織の中で試行錯誤しながらこの隊の黎明期を支えて護り、そして、その中でたくさんの仲間や大切なものを失ってきた人。
そんな岸谷さんを「大切な人」と呼べるようになってから数ヶ月。
僕は、幸せとともに、いくつかの不安を抱えていた。
彼の部下である調理班と、仲のいい同期たちには受け入れられたとは言え、まだ世間では理解度の低い同性同士という関係であること。
巧みな技術と豊富な経験をもち部下の信頼も厚い岸谷さんと、入隊一年目も終わっていない新人の僕では、釣り合わないのではないかということ。
そして、あれから何も教えてくれない、心に残る過去の想いにも。
優しい沈黙の中で思いに捕らわれながら、しばらくそのままの姿勢でいると、時間になったのか厨房からコールが入った。
「さて、と。名残惜しいが、現場に戻るか。潤は、どうする?」
「ここを片付けたら、部屋に戻ります。」
「そうか。」
僕の言葉に、どこか懐かしいものを見るように目を細め、くしゃり、と大きな手で僕の髪を掻き混ぜて、名残惜しそうな面持ちでチーフルームのドアを開けた。
気にしすぎ、と言えばそれまでなのだが、今のようにふとした瞬間に見せる、僕の中に誰かを見つけたような表情に「本当に僕を見てくれているのか。」と問いたくなる。
岸谷さんの傍にいれるなら身代わりでもいい。そう思ったのも嘘ではないけれど、ちゃんと自分を見て欲しいというのも素直な想いで。
岸谷さんを疑うわけではないけれども、きちんと想われているという自信がない。
「僕には貴方しかいないんです……」
厨房に戻っていった岸谷さんに聞こえるはずもなかったが、僕はあの時の告白を小さく繰り返した。
窓辺のぬいぐるみ越し、狭く切り取られた都会の空は、不安を拭いきれない心を移すようにぼんやりと曇っていた。
*** *** ***
今年は残暑が長く厳しく、今週に入った辺りからやっと暑さが引いて秋風に変わってきた。
過ごし易くなってきたとはいえ、外警のメインである外詰め勤務は、内勤に比べて常に外部からのあらゆる情報に対して気を張っていなければならない。
そんな精神的にも肉体的にも厳しい勤務に私事を持ち込まないのは基本事項。
とは言え、切り替えが上手くいかないこともある。
「池上、休憩に入っていいぞ。」
「はい。」
休憩上がりの哀川さんから交代を告げられて思わず息をつく。
不安定な精神状態は緊張感とあいまって、思いのほか体力を消耗させていた。
食堂まで行く気になれず、廊下の一角にある休憩スペースに向かう。
ベンダーでいつもより甘めのコーヒーを選択していると外警監視室から西脇さんも休憩に出てきた。
「池上、休憩か?」
「はい。」
「調子はどうだ?」
ベンダーからブラックの缶コーヒーを取り出しながら訊ねられる。
「涼しくなってきたので、だいぶ警備しやすいです。」
「ふうん?」
そう答えた僕を見定めるようにしばらく見つめて、すっと視線をそらした。
何も言わず、缶コーヒーを一口含んだ西脇さんは、微妙な顔をする。
そんな西脇さんの顔を見ながら、いつもならメディカルルームにコーヒーブレイクに行く時間なのに、なぜ西脇さんはベンダーにきたのだろうという疑問が浮かんだ。
季節の変わり目で体調を崩す者が出始めたせいか、Drが張り切って恒例の「館内巡回」という名の隊員狩りをしていたから、日勤なのは承知しているはずなのに。
もしかして、僕の抱える鬱屈に気付いたのだろうか?
聡い上司のことだ。原因までお見通しだから、メディカルルームでも食堂でもなく、ここで僕を確保したのだろう。
この人には敵わないな、と素直に憧憬と尊敬が胸のうちに湧き上がる。
その背中を追いかけ、追いつき、その信頼を勝ち取りたいと思う。
それは岸谷さんに抱くのとはまた違った強い想いで。
ふと、松坂さんも僕が西脇さんに抱いているのと同じ想いを、岸谷さんに抱いていたのではないかと言う考えが浮かんだ。
「どうかしたか?」
「いえ……」
再び探るような目で見る西脇さんから逃れようと、さりげなく逸らした視線の先にチーフルームがあったのは偶然。
その窓越しに見えるのは植草から贈られたぬいぐるみ。
仲良く並んでいるその姿に、僕の脳裏を暖かく見守ってくれている人たちの笑顔がめぐる。
漠然とした不安に捕らわれていないで、不安を少しでも取り除き、岸谷さんを信じて一緒にいるために必要なけじめをつけるために、僕は松坂さんに逢わなければいけないと感じた。
そのためにはまず、彼の墓所を知ることが必要で、調べるには目の前にいる外警班長の情報力を頼りにするのが一番賢いやり方だった。
「西脇さん、一つお願いがあるんですが、よろしいですか?」
「うん?」
心を決めて話を切り出した僕に、敬愛する上司は訳知り顔でにやりと笑って耳を傾けてくれたのだった。
*** *** ***
休暇の重なっていない岸谷さんから、遅めの朝食を受け取ったカウンターで出先を尋ねられたが、親戚の墓参りに行って来ます、と少し嘘をついた。
同じことをゲート番についていた同期の田中さんに言って寮をでる。
少し離れたところで警備についていた西脇さんは柵ごしに目があうと、何も言わずに「ガンバレよ」というような笑みを浮かべて僕を見送ってくれた。
観光客で混雑する電車に乗り、西脇さん経由で城教官から教えてもらった松坂さんの菩提寺がある街の駅につく。
初めて訪れるそこは有名な仏閣が多く観光地として賑わっているが、土地柄なのか想像していたほど騒がしい感じがしなかった。
メモを片手に駅舎をでて有名仏閣と反対方向に向かう。
観光客もこちらにはあまり来ないようで、住宅街に聞こえるのは遠く近く木立を渡りぬける風の音と囀る鳥の声だけだった。
観光寺院ではない、静かなたたずまいの寺の山門を上がると近所の人だろうか、三脚を立てて庭に咲き乱れる小菊の写真を撮っていた。
そっと境内の中を覗くが、奥で用事でもしているのだろう、表向きには人影がなかった。
もう一度山門に戻り、先ほどの人に墓所を教えてもらって、それを頼りに彼の眠る場所を探す。
燃えるような緋色の彼岸花が、モノトーンの墓石の群れに彩りを添えるようにあちらこちらに咲いていた。
探し当てた墓前には親族の方が見えたのだろう、まだ新しい花が生けてあった。
今日から秋の彼岸入りだったことを思い出す。
駅からくる途中の店で求めた花を一緒に生けさせてもらい合掌する。
言葉にせずに、そっと心の中で逢ったことの無い、自分にどこか似ているという彼に語りかける。
逝ってしまった人には勝てないことも分かっています。
岸谷さんが自分を通して貴方を重ねて見ている、
そんな不安が無かった訳じゃない。
今だって、不安です。
それでも僕には岸谷さんしかいなから。
岸谷さんの言葉を信じようと思います。
あの人より先に逝かないと言う約束は、出来ません。
でも僕は、岸谷さんと二人で生きていきたいんです。
ずっと、ずっと一緒に。
だから松坂さん、貴方も岸谷さんを見守っていてください。
お参りを終えて表に回ると、住職というにはまだ若い僧が参道を掃き清めていた。
声もかけずに勝手に墓参させてもらったことを詫びると「墓参でしたらいつ来て頂いても構いませんよ。おりにつけ故人を偲ぶ事は、此方に残っている人しかできませんから。」と笑って答えてくれた。
その穏やかな微笑みになんだか勇気を貰ったような気がした。
*** *** ***
都心に戻り、議事堂前駅の地下鉄の階段を上ったところで見慣れた人影が待ち構えていた。
「潤。」
いつから待っていたのだろう?私服姿の岸谷さんは少し不機嫌そうな、どこか辛そうな声で僕の名前を呼ぶ。
「西脇さん、ですか?」
「いや、教官から聞いた。」
城教官は僕たちの関係は知らないし、あの西脇さんが僕の名前を出すはずはない。
けれど、松坂さんの墓所を訪ねる、などといえば関係者の筆頭である岸谷さんに話が伝わるのは自然の流れだろう。
自分から情報を流さない代わりに城教官には口止めしない所に、西脇さんの思惑が見え隠れしている。
「そうですか。」
ここで立ち話するには国会関係者が多く通りかかり、目立ちすぎる。かといって、寮に戻って、というのもおかしな気がして近くの公園に足を進めた。
平日昼下がりの小さな緑地公園は、親子連れが三組ほど固定遊具の傍で遊んでいる他は人影がなかった。
そんな親子連れから少し距離を取って木陰のベンチに並んで座り、何から話そうかと考える。
「嘘をついてすみません。今日、松坂さんのところに、行ってきました。」
「ああ。」
岸谷さんも、何を話せばいいのか迷っているのだろう、あいづちの後に言葉が続かない。
僕はこれからずっと二人でいるために、一人で抱えていた不安をぶちまけることにした。
「岸谷さんの傍にいれるなら身代わりでもいい。そう思ったのも嘘ではないけれど。貴方がふとした瞬間に見せる、僕の中に誰かを見つけたような表情を見るたびに、本当に僕を見ていてくれるのか、不安で。」
「俺は……潤を松坂の身代わりにしていたわけじゃない。だが時折思い出して潤とあいつをダブらせていたことで、潤を不安にさせていたんだな。」
「もう離さないって、言ってくれましたよね。だから僕もいろんな事に不安がっていないで、貴方を信じて一緒にいられるように行ってきたんです。僕の中でけじめをつけたかったんです。」
「……潤……すまない。」
「だから、謝らないで下さい。それに、逝ってしまった人を思い出してあげられるのは残された人だけだそうですから。」
そう言って、いつもとは逆に首に腕を回してそっと頭を抱き寄せる。
引き寄せられるまま僕の肩口に額をつけた岸谷さんは何も言わずに、まるで縋りつくような強さで僕を抱きしめてきた。
そのまま岸谷さんが顔を上げるまで、抱き合ったまま動かずにいた。
涙を流している訳ではないし嗚咽を堪えているのでもない、ただ抱きしめているだけだけれども。
ああ、この人は今、泣いているのだ、そう感じた。
そして、そんな姿を隠さずに見せてもらえたことを幸せに思った。
「こんどは、二人で行きましょうね。」
「ああ、そうだな。」
ぽつんと呟くとくぐもった声で返事が返ってきた。
次に休みが重なったら、二人で一緒に報告に行こう。
あなたが護ってくれた命を大切にあの場所で生きていますと。
志半ばで逝ってしまったあなたの分まで頑張っていますと。
振り仰いだ秋の空は、眩しいほど青く高く広がり、飛行機雲が白く細くどこまでも長く伸びていた。
Fin
2008/08/26 初稿
2008/09/28 寄稿誌発行
2010/09/12 WEB公開
お手持ちの方もいらっしゃるかと思いますが、岸池アンソロに寄稿させていただいた作品、公開です。
お題は「記念日」ということで自由に考えた結果、
いくつか候補を絞った中で9/20(空の記念日、秋彼岸の入り)をチョイス。
そして私のGDにしては長めの、シリアス系な話と相成りました……orz
ファイル公開はかなり前に解禁して頂いていたんですが、
時期物なので、去年逃したので、今年の公開と相成りました。
WEB用に手を入れていないので読み辛かったら申し訳ありません。