勤務シフトが夜勤なので混雑を避けていつもより遅めに食堂に顔を出す。
日勤が始まっている時間だから休暇や勤務時間外の隊員がまばらに座っているだけで、思った通りゆっくりと食事を摂れそうな雰囲気だった。
カウンターで浅野さんに朝食を頼み、トレイが出てくるのを待っていると、外警班員である同期の池上と一緒になった。
「池上、オハヨ……」
「おはよう、植草も休み?」
「…」
も、と言ったという事は聞いた本人は本日、休暇にあたっているらしい。
休みではないからふるふると首を振って否定すると、ふわっと笑って正確に汲み取ってくれる。
「そっか、夜勤なんだね?」
こくんと頷き、ちょうど出してもらったトレイを受け取り、並んで窓際の席についた。
うまうまと卵焼きを頬張りながら、そういえば先ほど池上が出てきたのは通常、隊員が立ち入ることがない場所――厨房脇のチーフルームのドアだったと思い出した。
そこが幹部クラスの密談に使われているのは周知だが、まだ入隊して半年過ぎたばかりの自分たち新人が自由に出入りできる場所ではない。
しかし、上司である西脇外警班長に呼び出されていたようでもなく、池上は一人でそのドアから出てきたのだ。
考えてみても納得のいく理由が思い当たらなくて、ゴクンと口の中の卵焼きを飲み込むと池上に聞いてみる。
「……なんで……?」
「え?」
俺の問いは池上にとって不意打ちだったようで、口に入れようと千切ったロールパンを持ったままこちらを向いた。
「……なんで?」
視線を合わせて首を傾げながらもう一度訊ねると、同じように首を傾げ、俺の問いの内容を考えるように視線をうろうろと彷徨わせる。
しばらくそのまま見ていたら何か思い当たったようで、小さく「ぁ…」というとポトリとパンを取り落として真っ赤になって俯いてしまった。
「……池上?」
「うん……あの、隠してたわけじゃ、無いんだ。ただ、心の準備が、できて無かっただけで……平田にも、この間やっと、伝えたところだし……」
「???」
心の準備って、なんの?
平田は、知ってるんだ?
聞きたいことが増えたけど、まあ、いいか…と思ってご飯の続きに手を付け始める。
俺が視線を外したことで、池上も気持ちを落ち着けるようにコーヒーを一口飲む。
「あの、ね。僕、今、付き合ってる人がいるんだ……」
「………」
外警は忙しいって言ったけど、いつのまに彼女なんて作ったんだろう?
そのことと厨房と何の関係があるのだろう……?
「その付き合ってる人って言うのが、ね……」
言いよどむ池上をちらりと見ると、不安を抑えるようにコーヒーのカップを両手で握り締めていた。
「……岸谷さん、なんだ……」
――――キシタニさんって、あの料理長の岸谷さん?!
池上の口から出た名前に驚き、口に運んだ箸を咥えたまま、ご飯を咀嚼せずに飲み込んでしまった。
ケホケホと軽く咳き込むと隣から湯飲みを差し出され、慌ててお茶で流し込む。
「ごめん…驚かせたね。受け入れてもらえないかもしれないけど、植草には自分の口から言いたかったから……」
池上はそんな俺を見て少し淋しそうに微笑んだ。
***
非番でもすることもなく、散歩に出たついでにポヤンと公園のベンチに座った。
池上の話はいつもの様に「ま、いいか。」と流せる話でもなかったけれど、グルグル考えているうちに気まずいままもう1週間が経とうとしている。
話の内容そのものは、突然で驚いてしまったけれど、自分自身、色恋沙汰に縁が希薄なせいか、あまり嫌悪感や拒否感は感じなかったし、それこそ人それぞれだと思うのだけれど。
どうやら周りから見ると「感情の起伏に乏しい」らしい自分が派手に驚いてしまったことで誤解をされ、傷つけてしまったようだったから、池上に謝罪をしなければならない。
――どう謝ったら、いいかなあ……
「おや、そこにいるのは室班の新顔だね。」
突然かけられた艶のある声に驚いて後ろを振り返ると見覚えのない褐色の美貌があった。
見覚えがないが、自分のことを室班の新人だと知っているということは隊の関係者なのだろう。
黒で揃えたスーツ姿が妙に艶っぽいのは醸し出すオーラのせいか。
「非番か?」
「はい。」
「じゃあ、付き合え。」
圧倒されてコクリと頷くと嬉しそうに艶然と微笑んだ姿が獲物を見つけた猫科の猛獣のようにみえ、抵抗する術もなく近くのカフェに引き込まれた。
「ここのケーキバイキングは一人で予約が取れないんだ。」
「はぁ……」
タイミングがよかったのかすぐに席に通されると、美貌の人は嬉々としてケーキが並んでいるテーブルに向かい、皿に乗るだけいっぱいのケーキとブラックのコーヒーを持ち帰ってきた。
俺も甘味は嫌いではないから数個のケーキとカフェラテをとる。
「今日の私は機嫌がいい。何か悩んでるのなら聞いてやろう。」
上機嫌でケーキをつつく彼はどうやら俺のことをよく知っているようだ。
もしかしたら上司か先輩の一人なのかもしれないと思い至る。
悩みなどない、と言ってしまえばそれまでなのだろうが、この人には逆らわないほうが得策だと存外高感度の危機感が囁いている。
「……謝るタイミングを逃してしまって。」
「ふん。」
大胆な食べ方をしているにもかかわらず、優雅に見えるのは顔だけでなく元々の仕草が綺麗なのだと思いながら向かいの先輩(であろう人)を見る。
「それで、どうでしたいんだ?」
「驚いたけど反対はしていないことを話して、謝りたいと。」
「間が開いたのが気になるなら、何かプレゼントでもそえてやればいだろう。」
それこそ、ここのケーキとか、な。と言い置くと瞬く間に平らげた皿を持って追加のケーキを取りにいってしまう。
カフェラテを啜りながら、何を贈ればいいだろうと考える。
岸谷さんが相手だから、下手に食べ物は贈らない方がいいのは判っているが、だからといってこれと言ったものが思い浮かばない。
ふよふよと視線を彷徨わせていると戻ってきた彼のケーキ皿の上に、可愛らしい砂糖細工の動物がいくつか乗っていた。
「……動物……?」
「かわいいだろう?これは私の下僕にだ。」
俺の視線の先に気が付いた彼は、至極やさしい目をしてその砂糖菓子を紙ナプキンに包んでスーツの胸ポケットに落としこんだ。
カフェを出たところで先輩と分かれると、俺はお詫びの品を買うために近くのショッピングモールに向かった。
きっとこれなら快く受け取ってもらえるだろう。
池上に直接渡したいけれど、今日は勤務だからいつ上がりになるか分からない。
でも岸谷さんなら食堂に行けば絶対にいるから手紙をつけて渡せばいい。
名前も知らない先輩に話したことでグルグルから一歩踏み出せたことに感謝して、足取りも軽くお詫びの品を抱えて寮に戻った。
***
残業を終えて遅い夕食を摂りに食堂に入るとカウンターの奥にいた浅野さんが慌てて駆け寄ってきた。
「池上、チーフのアレ、噂だけだからな?」
「…何かあったんですか?」
唐突に言われて首をかしげるとしまった、というような顔で口元を抑える。
「浅野、このバカが。」
「西脇さん?」
一緒にいた西脇さんが浅野さんの失言に呆れたように溜息をつく。
僕の耳に入らなくても、きっとこの事情通な上司には何か岸谷さんに関する噂が入っていたのだろう。
「池上、俺たちが言うことじゃない。本人に聞いてこい。」
そう言って僕にチーフルームに行くよう促した。
「あの、鷹夜さん、失礼します。」
「ああ、来たか。」
ソファで本を読んでいた部屋の主が顔を上げる。
夕食のトレイをテーブルにおいて向かい側に座ると、鷹夜さんの横においてあるものに気がついた。
「それ、なんですか?」
この間来た時には無かった物だ。
それに、鷹夜さんが自分で買うにはあまりにも似合わないもの。
「俺と潤に、だそうだ。」
「え?」
「植草がな、今日の夕飯時に置いていった。」
そう言って、傍らの物と1通の便箋を机の上に滑らした。
広げてみると見慣れた文字で「驚いてゴメン。応援してる。」の言葉。
「もしかして、植草。鷹夜さんに無言で渡していきました?」
「いや。」
そう言うとそのときの食堂の様子を思い出したのかふっと面白そうに笑って続けた。
「まあ、その一言のせいで誤解されて噂が走ったようだがな。」
「そうなんですか?さっき浅野さんが、思い切り動揺してたんですが。」
「植草もなあ「岸谷さんに、プレゼントです。」とだけしか言わないからな。」
必要外のことには語彙が極端に少なくなる同期の一言が食堂に居合わせた隊員の誤解を招いたのは手に取るように判った。
「それで、中身がこれだったんですか?」
「そうだ。誰の入れ知恵かは知らんが。」
「……多分、本人が考えた末です。」
クスリと笑って机に置かれたコックコートを着たクマとキャップをかぶったバンビのぬいぐるみを手にする。
「俺と潤、ということらしいな。ご丁寧にリボンで二体一つにまとめてあったぞ。」
鷹夜さんのセリフに赤面しながら、同期の友人の不器用で微笑ましいエールに心がほっこりと温かくなった。
Fin
おまけ
「浅野。」
「クロさん?!いつ戻ったの?」
「成田には昼、ケーキバイキング行って、さっきここに来た。」
そう言ってカウンター越しにぽいっと何かを放ってよこす。
慌ててキャッチすると紙ナプキンに何か入っている。
「これは?」
「ケーキバイキングに行って見つけたから持ってきた。心して食え。」
そっと開けるとマジパンと砂糖で作った小さな動物が数体。
「私は教官と班長に会ってくる。励めよ。」
「うん、クロさん。あとで持ってくからケーキ、食って?」
クスリと笑って背中を向けた片恋の人に追いかけるように声をかけるとひらひらと片手を振ってくれた。
クロさんの帰国が研修明けのものではなく、休暇を利用して最新のデータを補完するためで。
その日のうちに研修先に戻ったのを知ったのは、夕食に森繁さんと平田がきてからだった。
2007/03/13 初稿
2007/04/01 改稿、Mさまに献上
2007/09/08 WEB公開
衝動的に書きたくなって書きました
2019年度の同期、特に池潤、平田、植草の3人は仲良しだと嬉しいです